朝6時、私はいつものように目を覚ましました。昨日の停電から、電気はいまだに復旧していませんでした。ロウソクを灯し、私は身支度を始めました。
病棟に行ってみると、昨日入院させたアイダの全身状態はさらに悪化していました。そして、その向かいのベッドには、遺体を入れた白い袋が1つひっそりと置かれていました。病棟の患者は随分減っていました。
モニカとケネス坊やのことで話をしました。坊やをこの病院に置くことには、私は反対でした。 既に感染しているに違いないけれども、いまだ症状のない彼をエボラウイルスの中に置くことに私は耐えられなかったのです。
それで抗原検査をしてみることにしようと話し合いました。
「採血しようよ」とモニカに言い、身体に触れた私は愕然としてしまいました。
「熱い…。」熱があるのです。
確かに、昨日からケネスは鼻水を垂らしていました。やはり感染し、発症してしまったのです。エボラ出血熱の初発症状が、涙目や鼻水で始まることが多いことも、ここに来て初めて知ったことでした。
疑い患者の病棟では、昨日までエボラ病棟に入院していた 180cm以上ありそうな若い男性患者が私を待っていました。少し知能の低い彼になぜか好かれ、いろいろ‘お願い’をされていました。
「ドクター、 ガムブーツ (ゴム長)ちょうだい」。
ゴム長はエボラ出血熱の流行以来、病院の医療スタッフが履いていることから、グル地区では人々の憧れでした。当時のグルでのトレンドは手袋とブリーチ(消毒に使う)、そしてゴム長でした。
「私のは入らないよ」と笑って彼に答えました。
彼は私が見た数少ないサバイバー(治癒した人)の一人でした。
疑い病棟の患者のほとんどが、マラリアと思われました。ここではクロロキン(Chloroquine;マラリアの治療薬)の乱用(指導どおりに服用しない)は日常茶飯事であり、耐性マラリアも問題になっていると地元の医師から聞いていました。
今日はトリアージで一緒に働いていたクリニカル・オフィサーの学生の最後の勤務日でした。私と佐多先生は、夜、3人の学生をアチョリ・ホテルの食事に誘いました。
嬉しそうに食事をする学生の、自分たちの夢はさらに医学部に進み、この地域のために働くことだ,と熱く語る姿がなによりも心強く、私は彼らのすばらしい将来を祈っていました。