新型コロナ感染症の扱いが5類へと変化したことを受け、人々は家族旅行や友人との旅行を楽しみ、コロナ感染症の流行のために失った時間を取り戻そうとするように、人々の動きは、一挙に活発になりました。
その結果、人々の交流が増え、新型コロナ感染者も増えました。
夏休みの後半からは、日本ではインフルエンザ感染者も増え続けました。そして、その流行は全国的に拡がり、今なお続いています。多くの人々は、「何で今頃、日本でインフルエンザが流行するの?」と、不思議に思われておられるでしょう。
今、何故なぜ、日本でインフルエンザがなぜ流行しているか・・・・それには、しっかり理由があります。
日本の夏休みは、南半球では冬に当り、インフルエンザの流行時期です。
冬のオーストラリア、ニュージーランドなどでは、インフルエンザは流行しています。そして、それらの国だけでなく、交流の盛んな東南アジアの国々にもインフルエンザの流行は拡大します。
そんな状況の中で夏休みを迎えた人々は日本を訪れ、インフルエンザを連れて日本に入り、日本の中でインフルエンザが感染拡大したのです。
積極的にインバウンドを増やすことに力を注いでいる日本では、海外から入国してくる人と伴に、感染力の強いインフルエンザのような感染症が入ってくるのは当然であることを私達も覚悟する必要はあるでしよう。
先日、私は、長い間の望みだった、木曽路、白川郷の旅に行ってきました。
昔の宿場が今も残っている中山道沿いの古い町並みを歩くこと、そしてずっと以前にスウェーデンの大学教授のお供で、一度訪ねたことのある白川郷を、もう一度訪ねてみたいと思っていました。
その私の夢を終を達成しました。
木曽路や白川郷などは海外から来る旅行者の中でもリピータの人には人気の旅先のようでした。
道端に赤い彼岸花が咲く、宿場町、奈良井、妻籠では大勢の海外からのグループに会いました。彼らは街並みの中を、五平餅を食べながら歩いたり、お土産を選んだり、古い町の風情を満喫し、満足そうに歩いていました。
私が奈良井の宿で一緒になった旅行者は、シンガポール、マレーシアなどの東南アジアの人々で、東南アジアからの旅行者が多いことを実感しました。
これじゃ、インフルエンザが日本の中に入って来るのは当然だなと確信しました。
出会った東南アジアからの皆さんは、穏やかで、しっかり、日本のルールを守って旅籠の旅を楽しんでいました。
東南アジアでは夏場にもインフルエンザが流行することを知ったのは、私がタイのバンコクのマヒドン大学で熱帯医学を学んでいた時でした。
タイでは北半球でインフルエンザが流行する時期だけでなく、南半球で流行する時期にも、多くの子供たちが肺炎で亡くなっていると大学の授業で教えられました。
そんな事情を考えると、私は、現在の日本でのインフルエンザの流行の切っ掛けになったのは、東南アジアやオセアニアから来日する旅行者と関係あると思っています。
実際、以前から8月、9月には、日本でも小さなインフルエンザの流行が見られていました。
夏休みに東南アジアに出かけた人や、来日した東南アジアの人やオセアニアからの旅行者やそれらの地域から帰国して来た日本人によって持ち込まれて、小さな流行は作っていました。
しかし、今年のような大きな流行はありませんでした。それは何よりも旅行者の人数が増えていることに原因があることは言うまでもありません。
その上、「コロナウイルス感染症の流行期間に、私達は人との交流が制限され、さまざまな感染症と接する機会がなく、そのために感染症に対して、免疫を作ることが出来なかった。」と言う現実が重り、インフルエンザの季節外れの流行の原因と考えられます。
皆さんには、11月中にはこの冬のインフルンザの流行に備えたインフルエンザワクチンを、是非接種して頂きたいと思っています。
私達は、このコロナウイルス感染症が流行している間は、人々が集まる機会もなく、コロナウイルス感染症以外の感染症に合うこともなく、免疫を持つことが出来ないまま来てしまいました。その結果が今の日本での、さまざまな感染症流行発生の遠因と思っています。
これも、コロナウイルス感染症の流行が私達に残した「お土産」です。