エボラ川は中部アフリカに流れる小さな川のひとつで、その流域で発生した感染症の患者から発見したウイルスを、その地名からエボラウイルスと名づけました。そのウイルスによって引き起こされる感染症をエボラ出血熱と呼びす。
エボラ出血熱の流行は、最初のウイルス発見以来、都市から離れたアフリカの奥地でしばしば発生していましたが、限定された地域だけで収束するというパターンを繰り返していました。
ところが、2014年2月に西アフリカのギニア南部から始まったエボラ出血熱の流行は近隣国へと拡大し、多くの患者や死亡者が発生しました。その様子はメディアにも取り上げられるようになり、世界中の人々の関心を集めました。
当初、先進国の人々にとってこの流行は、「医療事情の良くない、衛生上問題のある遠い地域で発生した出来事」であり、アフリカ国内で講じられる何らかの対策によって、すぐに収まるだろう考えていました。
しかし、流行拡大の勢いは止まるどころかますます悪化したため、世界中から多くの医療関係者が西アフリカの流行地域に渡り、患者の医療や感染対策にあたりました。その努力にも関わらず流行は長期化し、患者の治療にあたっていた医療関係者や現地で患者と接触したであろう人々が、帰国あるいは他地域に出国しはじめましたことにより、西アフリカ地域外、アメリカ、スペイン、ドイツなどの先進国でも患者が確認されるようになりました。
今までの流行では、これほど広い地域でエボラ出血熱患者が見られたことはありませんでしたし、これだけ多くの死亡者が出たこともありませんでした。
今回の流行によって、エボラ出血熱のような重篤な感染症が、もはや途上国の一部の地域でのみ発生する疾患ではなく、自分たちの身近でも起こりえる可能性が十分にあることを初めて明確に意識するきっかけとなりました。
感染症が国境を越えて動くのを阻止するためには、人の移動や物流を止めるしか方法はありません。しかし、グローバル化した現代社会では、経済活動や社会生活を行う上で、実際にそうすることは不可能です。それが、現代社会が抱える感染症の問題点のひとつであると言えます。
では、このような事態に私たちはどのように対応したら良いのでしょうか?
エボラ出血熱は、今まで何度かアフリカで流行を繰り返したものの、そう頻回に発生する感染症ではないため、「重篤な感染症で、死に至るケースが多い」などの知識がある程度知らされているくらいで、その症状などについては不明なことが多いのが現状でした。
知らないがために、エボラ出血熱の流行と聞いただけで多くの人々は脅威を感じ、流行地では社会の混乱を招き、さらに遠く離れた先進国にまで患者が発生したことによって、私たちに大きな恐怖心を与えました。
今回のエボラ出血熱の感染拡大の報道や記事を見ていると、私は多くの人が溢れる情報の中から何を選ぶべきかに迷い、エボラ出血熱についての正しい知識も教えられないまま、右往左往しているような印象を強くもちました。
エボラ出血熱のような重篤な感染症と、インフルエンザやノロウイルス感染症のような日常的な感染症では、国の施策や対策に異なる部分があって当然ですが、感染症対策は日頃からの準備が大切であり、基本的なことは同じです。
エボラ出血熱がどんな病気なのかを知っていただくためには、実際に私が現場で経験したことをお話しするのが一番いいのではないかということに思いいたりました。
もしかしたら多くの方が、今回の流行と2000年のアウトブレークでは違うと思われるかもしれませんが、たとえウイルスの型が違っても、エボラ出血熱という重篤な感染症であることに変わりはなく、もしこの2つのアウトブレークに差があるとすれば、初期の押さえ込みに成功したかどうか、また、発生源となった場所から比較的近くに人口の多い都市があったことくらいで、それがアフリカ特有の生活習慣の中で流行拡大していったことはまったく同じです。
ですから、2000年にアフリカのウガンダで発生したアウトブレークの際に、私が日本からの医療支援として現場で実際に患者の治療にあたった時のことを書いた「現地レポート・エボラ病棟日誌」をベースにいくつか追記をしたものを、これから数回に分けて掲載していきたいと思います。