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現地レポートエボラ出血熱 ウガンダ・グル地区でのアウトブレーク
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エピローグ

11月12 日にエンテベ入りした日本からの後続隊(東大医科研・岩本教授、名古屋市立大・岡本教授) にグル病院での仕事を引き継ぎ、グルを発ったのは14日の夕方、薄暗くなりかけてからのことでした。

夕暮れのアフリカの空を小さなセスナで飛びながら、眼下に大きく蛇行するナイル川や、多くの生き物や病気を飲み込んでいるジャングル(熱帯雨林)に、私は「さようなら!」と別れを告げました 。

グルでの経験は私の今までの熱帯での経験とは比べものにならないほど鮮烈であり、アフリカの厳しさを私に嫌というほど教えてくれました。

熱帯の厳しさの‘とどめ’はマラリアでした。

帰国後5日目に私は強い頭痛に襲われました。

当時、慢性の肩こりに悩んでいた私は、疲れと時差ぼけが加わり、頭痛が出てきたと思い鎮痛剤で凌いでいました。しかし、頭痛は強くなる一方で、その2日後には体がガタガタ震える悪寒、戦慄が現れました。

そこで、私は「ひょっとしてマラリアに罹ったかな?」と、初めてマラリアに感染していることに気づきました。そして、愕然としていました。 確かに寝汗をかいて目が覚めてはいましたが、発熱としての自覚はありませんでした。
私は、タイ・マヒドン大学で習ったマラリアの講義を思い出しながら、マラリアの臨床症状を自分の症状に一つ一つ押し当てて確認していました。

私は観念して検疫所のラボで検査をしました。末梢血の赤血球には、しっかりマラリア原虫のリングフォームが見え、マラリア抗原検出キットには、熱帯熱マラリアのバンドが、私をあざけ笑うように、はっきり出ていました。
何よりも、私はエボラ出血熱患者接触者であったことから、国立感染症研究所での検査結果が出るまでは、神妙に東北大学病院の隔離病棟に入院していました。

マラリアはメフロキン(Mefloquine)とアルテスネート(Artesunate)での治療を始めるとすぐに解熱し、頭痛は取れ、尿量は増え出しました。翌朝、コーラ色の尿をトイレの中に確認し、改めて自分がマラリアであったことを自覚しました。

「先生は帰国後、熱が出たり頭痛があったりして、エボラ出血熱に感染したかどうか、心配ではありませんでしたか?」とよく聞かれましたが、私はまったく不安を感じることはありませんでした。

なぜなら、グル病院で実際に多くの患者を診て、エボラ出血熱の臨床経験を積んでいたからです。

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