赤道に近いグルの朝6時は、まだ薄暗く、朝露の中で響く煩いほどの鳥のさえずりが私の目覚ましでした。今朝も、昨夜同様、停電は続いていました。
ここに来てから、毎朝マラリアの予防薬プログアニル(Proguanil) を2錠飲むことが私の日課となっていましたが、その朝は、プログアニルの苦みが、いつになく口にいつまでも残っていました。味覚までおかしくなっているのは、きっと疲れているのでしょう。
午前中、少なくなった患者の回診をモニカとダンの二人と一緒に行いました。ダンの興味は、患者の診療よりも検体を取ることに移っていました。それは、患者が少なくなり、回診の時聞が減った分、検査に時間を割くことができるようになったこともありましたが、当初からやっていた、首の皮膚バイオプシーだけでなく、肝臓、牌臓のバイオプシーまでも実施する時間ができたこともあり、少なくなってきている患者を見ながら、少しでも多くの検体を採ろうとの思いが一段と強くなり、懸命になっているように、私やモニカには見えました。
そんなダンの姿を見ながら、二人でうんざりしていました。
それだけでなく、少しでも多くのデーターを持ち帰ろうと、今日から患者の採尿とテステープでの簡単な尿検査、そして尿の一部をプラスチックのバイアルに採ることを、私たちに指示しました。
回診に来たムルワーニも、ダンに勝手に書き換えられたカルテを不機嫌そうにひっくり返して見ていました。私だけでなく、スタッフの多くが、ダンの横柄なやり方に不満を持っていました。
ここに来て何日になるだろうか…とふと、考えました。
私はこの実態を何としても人々に伝えなければと強く思い始めていました。でも、なかなかカメラを患者たちに向ける決意はつかずにいました。
ここに来て病棟で働くようになってから、ここでの様子を記録し、多くの人々に実態を伝える義務が自分にはあるとは、ずっと思っていました。しかし、あまりの実態の惨めさに、病んで、喘いでいる患者に、カメラを向けることには躊躇がありました。もちろん、持ち込むカメラの汚染、そしてそれからの感染拡大にも神経質になっていたのも事実でした。
その朝、私に残された時間が少なくなっていることを自覚し、ベッドの横のカメラを取り上げ、初めてカメラを持って病棟に入りました。
遺体搬送の軍の兵士に睨まれながら、遺体処理の様子をカメラに収めました。私がエボラ出血熱病棟で撮影した1枚めでした。
その向かいのベッドでは、既に意識のないアイダの裸の肩がゆれているのを見ながら、心の中でアイダに「ごめんなさい! 写真を撮らせて! お願い」と心の中で詫びながらシャッターを切りました。
夕方、家族に連れられて、若い男性患者がトリアージにやって来ました。6月頃から具合が悪いと訴えていました。患者は顔を毛布で隠すように覆っていました。下痢と胸の痛みがあると訴えていました。
私は、胸を診察しようと、被っていた毛布を取るように言いました。するとそこに現れたのは、典型的なエイズ患者の痩せこけた若者の姿でした。このウガンダでも、エイズは深刻な問題なのだなと痛感しました。
写真:感染患者
写真:遺体埋葬のチーム