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現地レポートエボラ出血熱 ウガンダ・グル地区でのアウトブレーク
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10月31日

ウガンダでのエボラ出血熱患者の収容先は2施設が担当していました。一つはイタリア人が院長をしているカソリック系のラチョー病院、もう1施設が、私たちが働くことになっている公立のグル病院でした。

朝、早めに目覚めた私は、多少緊張して8時過ぎにはグル病院に着き、昨日教えられた通りに更衣室で防護服を着ました。

グル病院にはウガンダ人の医師2名と看護師、その他に部屋を掃除するルームクリーナー、衛生兵の教育を受けている学生など、さまざまな人が働いていましたが、それでも人手は十分とは言えませんでした。

長靴−手袋−予防着−帽子—マスク−ゴーグル−手袋。 最後に病棟に置いてあるエプロンを、中に入ってから身に付けることになっていました。時間から言っても、まだ気温は高くはないのですが、装着するだけで私はびっしょり汗をかいてしまいました。

病棟では、朝の清掃をするクリーナーたちが慌しく行き来していました。もちろん彼らも、私たちと同様、防護服を着ていました。

ちょうど私たちが病室に入ったとき、背の高い男性の看護師が、大きなポリタンクの中に次亜塩素酸の消毒薬を作って、それらを部屋のいたるところに置かれたタンクに運んで、 いつでも手洗いができるように準備をしていました。

実際、WHOがここをエボラ出血熱の収容拠点病院と決め、バリアーナーシングを確立するまでに、既に何人かのクリーナー、看護師に犠牲者を出していました。

過去のエボラ出血熱アウトブレークでも、院内感染は深刻な問題でした。ここでもやはり同じでしたが、WHOは過去の経験から、いち早くバリアーナーシングを実施し、職員の感染防御に乗り出したこともあって、グル病院では厳重なバリアーナーシング実施以降、院内での感染事故はありませんでした。

午前中はサイモンと一緒に回診をしました。病棟はナースステーションを挟んで、それぞれ左右に、疑い患者病棟とエボラ患者病棟とに分かれていました。

疑い患者病棟は一つの大部屋で、真中の通路を挟んで両側にベッドが10台位ずつ並んでいました。

次いでエボラ病棟に入ると、そこではスクリーンを回らせて、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)から来ているダンが遺体の首の部分から皮膚のパンチバイオプシーを行っていました。バイオプシーが終了するや否や、防護服を着た兵士が現れ、遺体の上から次亜鉛素酸液を噴霧し、その遺体を毛布とともに白いプラスチック・バッグに詰め込んでいました。そして、そのプラスチック・バッグを、表で待っていたトラックに積み込んでいました。それらの遺体の入った白いバッグは、埋葬する場所へと運ばれることになっていました。

私たちと一緒に医療にあたる医師は、国境なき医師団(MSF)のコロンビア人医師モニカでした。

その日は、15人程の患者がエボラ病棟に入院していました。病棟の中を見て回ると彼らのほとんどがひどい下痢をしていることが分かりました。意識朦朧としたまま、下痢便を撒き散らして動き回る患者も見られました。クリーナーの朝の仕事は、その撒き散らされた便の始末をすることでした。

患者の枕もとには、 5 リットルのORS (Oral Rehydration Saline;経口補水液)の入った容器が置かれ、下痢によって引きおこされる脱水の治療のために、それを飲むように指導していました。

モニカは「付き添う家族がいて積極的に飲ませることができれば、予後も良いけれども、患者の多くは衰弱が強くて、自分では飲む力がないから、治療はできないよね」と話してくれました。

このとき、私は初めて、ここでのエボラ出血熱患者の主な症状が、発熱と下痢、嘔吐、腹痛などであることを知りました。

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